本物の自信 補足

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前回の最後の方に
本物の自信を得るには
神への信仰を持ちさえすれば
どの神に対するものであってもOK
それどころか
薄っすらボンヤリしたものでも良い

みたいに読める書き方しちゃいました

勘違いされてもいけませんので
補足しときます
 
 
あれは一般的な話であって
今現在で言うなら
良いやり方とは言えません

エル・カンターレも幸福の科学も
知らない人なら
なんとな~く、のレベルでも良いから
仏神への尊崇が心に有れば
本物の自信は持てますよ~

その程度の意味です
 
 
現在であれば
エル・カンターレへの信仰を持つのが
最強の自信を持つ事になります

前回も書きましたが)
信仰は自信の強い根拠となる

仏に創られた
ある意味で仏に等しい存在が自分
これを掴む事が
最強の自信となるんですね

主エル・カンターレが
どれ程までに
私達を愛して下さっているか

これが実感として知覚できれば
得も言えぬ感謝が湧き上がり
全ての不安は消えて行きます

ちなみに
エル・カンターレをすでに知る者が
他の神を信ずる等
愚かな事をやってしまうと

あの世に帰った時
とんでもない大恥をかきますし
後々、激しい後悔に苛まれます

そんな人を時々見かけますが
まあ・・・・
お止めになられた方が宜しいか・・・・と
 
 
んで、ですね
死んだ時に大恥を掻く、なんて話
霊的じゃない人は
何度聞かされても理解できません

どう聞いても、この世的な話にしか
聞こえてないと思います

まあ、あと何十年かすれば
ハッキリ実体験として解ります

唯物論の人があの世で体験するのに
実によく似た
最強最低な情けない惨めな気持ちを
味わう事になるでしょうから

大げさでなく
「穴があったら入りたい」
状態になるんです

ところが、この世と違って
あの世ではそれが出来ないんです
穴に入って隠れられないんですよね

困った事に
 
 
幸福の科学の会員でありながら
他の神を信仰する、とは

それが、一つには
造物主との契約を
踏みにじる行為である事と

さらには
エル・カンターレと比べたなら
他の神など全て
屁の突っ張りにもなりません

愛・慈悲・智慧・法力・・・・etc
どの神であろうと
エル・カンターレの足元にも及ばない

すでに
エル・カンターレを知るにも関わらず
それらを「信じる」行為が
どれ程までに愚かか

その程度の事すら分からない

あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎる

この違いが分からないのは
人間として情けない

ちょうど
ハーバードに入学しておきながら
猿山の授業を「素晴らしい!」
と勘違いし学ぶ

それ以上に惨めな行為だ
 
 
ですが
仏はそんな小さな事で
怒られたりはしません

残念なのは・・・・・・・・

自分自身が
自分の心が
自分の魂の兄弟達が
過去世からの友が

悲しみます
苦しみます
惨めさに悶えます

残念だけど
実感レベルでの思考が
この世的なモノしか出来ない人は
これも解りません
 
 
私時々思うんです

仏は何でこんなにも
難しい世界を創られたのか?と

自然の栄枯盛衰を見ても
動物の営みを見ても
星の瞬きを見ても

そこからは
際限の無い叡智が感じ取れます

幸福の科学の書籍一冊をとっても
深掘りすれば
無限の悟りが発掘されます

大袈裟じゃなくて
本当に無限なんです

でも、そんなの
世の中は理解できない人だらけ

そんな人見てると
あまりにも可哀想なんですよ

まるで
小さな子供が何も解らず
難しい事やらされてるみたいで
心が痛みます

これが仏の愛・慈悲なのは
重々、承知してるつもりですが
時々解らなくなります

「こんなに難しいの無理ですよ
彼らには・・・・・・・・
仏よ、理不尽じゃないでしょうか
彼らが可哀想過ぎますよ
もっと解り易い環境を
与えてあげて下さい」

信仰を嘲笑う人を見てると
そんな気持ちになりますし
無限の叡智から何かを
掴み取ろうとしない人を見ても
そんな気持ちにもなります
そして
自分の信仰の弱さを、力の無さを
頭の悪さを
情けなく申し訳なく感じます

自分達に無限の説得力が有れば
助けてあげられるのに

自分は
埃と同様の小さな存在かもしれないけど
同時に
エル・カンターレと同様の
尊い存在でもある
これを掴んで頂きたいです

でも・・・・
それもこれも全て
当人が全てを知った上で
あえて望んで生まれてきたんだから
仕方がないのかも・・・・・・

ゴメンね (๑-﹏-๑)