苦しみの最中にある人へ

私達生きとし生けるもの全てを
主は背負ってくださっています

私達は魂が創られた時から現在まで
ずっと主に背負われてきています

一瞬として
そうでなかった時はありません

貴方が一人きりであった瞬間等
どこにも無いんです
 
 
想像してみてください
子を親がおんぶしている姿を

親は背中の子が望み、尚且つ
子の特性に合った事柄を
次から次へと教えていきます

ですが親の声が子に聞こえる事は
ほぼ有りません

子にとっては親の声が
「体験」として現れてくるのみ

そして、この教育は
子の自主性を重んじたもので
あくまで子が自分で
自分の足らざる点に気付ける様
あらゆる点からの配慮を巡らせた
実に巧みな教え方

子供は親の背の上で
どんどん色々な事柄を認識できる
立派な人間へと成長して行きます

子は時々ブツブツと
希望やら文句やらを呟いていますが

親はそれら全てを聞いていて
本当に子の為になる事柄は
叶えてあげようと
体験としての試練を子に与えます

ところが
子は、その試練に物凄く苦しむんですね

本当は苦しむ必要等無いんですが
どういった訳か苦しんでいます

苦しみの原因は
学業でしょうか?
恋愛でしょうか?
仕事でしょうか?
人間関係でしょうか?
歳を取る事の不安でしょうか?
病でしょうか?
お金でしょうか?
死への恐怖でしょうか?

何で苦しんでいるのかは分かりませんが
子が苦しんでいる時、親も同心から
そっくり同じ苦しみを感じています

その試練が元で
子は時々、煤の様な真っ黒な姿に
変化してしまいます

親は自分が与えた教材が解けなくて
苦しむ子の姿が可哀想で可哀想で
黙って見ている事ができません

子の為に与えたはずの体験なのに
それが元となって
子は心を曇らせていく

何とか子の苦しみを
取り除いてあげようと
背中の上の子に
沢山のアドバイスをします

ですが子の耳には
その優しい優しい声が届きません

そもそも
最初から、おんぶされている事にすら
気が付いていないのです

子は
自分は孤独、たった一人で
苦しみ悲しんでいる、と
思い込んでいて
疑心暗鬼や恐怖に囚われ
自己保身から色々と
宜しくない事をやります

親は
子が苦しんでいる事
自分の声が子に届かない事
等を悲しんでいます

自分の声が届きさえすれば
苦しみは消えるのに
それが成せない

ですが
無理矢理に聞かせる事は
子供の自立心を
無視する事になりますので
そうは、なさいません

ですので
子が自分の声を聞ける様になる日を
親はずっと我慢し
待ち続けていらっしゃいます

「親の声を聞ける様になる」
そのキーワードは
「親を100%信頼する事」です
 
 
比喩で表現しましたが
私達と主の関係は、こんな感じ
 
 
子が親の存在に
その無限の愛に優しさに気付き
親に等しく同心する時

全ての苦しみは消えて行き

今まで少しも気付けなかった
あの世の守護霊や友人達
これらも感じられる様になり

喜びの歓喜の世界が
立ち現れてきます

ニコニコと両手を広げ
貴方を待って下さっている
主エル・カンターレと共に
 
 
お話はここまで・・・・・・
 
 
こんな境地に誘ってくれるのが
幸福の科学の仏法真理です
主エル・カンターレへの
揺るぎ無き信仰です

貴方の事は、ずっと主が
おんぶして下さっているんです

貴方は一人ではありません

どうか、その事実に
気付いて下さい