歌声による悟り

芸術方面の悟りについて
総裁先生はあまり説かれていません

需要が低い事が理由なんでしょう
きっと

音楽に興味がある人なら
よく御存じだと思います

歌のテクニックの
上手い下手に関わりなく
人を感動させられる歌い手が
いらっしゃる事を
 
 
これはズバリ言いますと
その歌い手の悟りです

ですので残念な事に
どれ程にテクニックを上達させようと
この悟りを持たない人は
他人を感動させるのは至難の業
 
 
この手の悟りには
幾つかの種類があります

大きく言うなら
「他への愛」しか無い訳ですが

小さく分けるなら

優しさで聞き手の心を包み込む歌声
とか

聞き手の悲しみに寄り添える歌声
とか

惨めな境涯の聞き手を
おおらかに包み込む「許し」
とか

圧倒的な明るさで
聞き手を鼓舞させられる歌声
とか

色々と分類は出来るでしょうけど
基本は与える愛で

自分をよく見せようとする
自己中な歌声はダメです
 
 
例えばこの曲

宇宙中で知らないのはウンコだけ
と言われるLed Zeppelinの名曲
「Stairway to Heaven」ですが

メロディーラインは美しく
歌い手もまあまあなのに
イマイチに聴こえるのは

この歌い手もバンドメンバーも
自己顕示欲がギラギラしてて
それが邪魔してるのと
ボーカルのロバート・プランドが
音程を外しまくってる

この2点だと思うんです
(私は大好きだけど)

ジミー大西
じゃなかった
ジミー・ページのギターは
最高なんですけどねぇ
 
 
上手だと思って欲しい
とか

カッコいいと思われたい
とか

こんな心で歌ってる人を
プロでもよく見かけますが
あれじゃウケ悪いです

この悟りが解ってる魂には
相手にされません
 
 
演歌で例えるなら
五木ひろし、なんかの歌声には
明らかに悟りが込められています
(全方位じゃなく特定の悟りですよ)

彼は海外でもウケるそうですが
あの悟りなら頷けます

悟りのある歌声に言語など
何の関係もありません

全く理解できない歌であっても
聴衆は涙を流します
 
 
名前は伏せますが同じ演歌の世界で
上手いと定評ある最近奇行が話題の
とある若手なんて

技術的には20代の頃から
素晴らしいものをお持ちなんですが

悟りの方が追い付いてなく
さっぱり感動できないんですよ

これがまた

悲しい事に
 
 
演歌を例に出しましたけど
どんな歌でも同じで

自分の事を考えるのに忙しい人の
歌声で感動する人はいません

ロックだろうとポップスだろうと
感動させられる歌い手は
一定数いらっしゃいます
 
 
勘違いするとマズイんで
釘を刺しておきますけど

惚れ惚れする様な
与える愛の歌が歌えるから
といって
その人が日常全てに愛溢れる人か?

と問われると
そうではない人も
多々見受けられる様です

歌声が素晴らしいから
きっと人格も素晴らしいんだ
と、あらぬ期待を抱き
ガッカリしてしまわない様
前もって心しておいて下さいね
 
 
歌ってる時だけ神がかってて
普段は普通の人以下の人格

そんな歌い手は沢山いる様です

まあ「餅は餅屋」て事ですね

歌手ってスペシャリストですから

総裁先生みたいに
ゼネラリストではありません
 
 
そして、これは
前にも書いたと思うんですけど

他人を感動させるには歌い手に
「歌の悟り」の他に
聞き手を上回る霊力が必要です

どれだけ与える愛で歌おうと
聞き手より歌い手の霊力が弱い場合
聴衆は感動できません

要は、この悟りも
比較級だ、て事

弱い霊力の歌手は
どれだけ上手かろうと
霊力の強い人は全く感動しませんし

強い霊力で与える愛の歌手は
少々ヘタでも聴衆は感動します

ですので
ある人は素晴らしく感動する歌が
他の人はガラクタに聞こえる
なんてケース、よくあります

人は皆
自分より少し~ある程度強い霊力の歌声
で感動します

自分より弱い霊力の歌声には
感動しないのと同じく

自分より圧倒的に強い霊力には
これまた
感動できないんですね

難しいもんです
 
 
さらに言うなら

聞き手の好みも影響します

聞く側が優しさを求めてるところに
ひたすら明るい力強いロックを
聞かせても感動は難しい

そういった事柄も関係してきます