エル・カンターレからの霊示 その2

幸福の科学で真理を勉強してる人は
徳治主義こそが理想の政治形態だ
と考える人が多い様です

恐らくは幸福の科学の
偉大な神が活躍する
幾つもの映画や小説等で
そう思い込むに至ったんじゃないか
と推測するんですが

徳治主義の最大の欠点は
この記事に書いてますので
興味をお持ちなら読んでみて下さい

と言う訳で今回は
別な視点から
も少し突っ込んで書いてみます

ホントはこんな話書きたくないけど
指摘されないと分からない人向けに
嫌々書いてみます
 
 
私が割と最近まで
気付かなかった事の一つは

信頼・依存・愛情&信仰

世の中にはこれらが
混然一体となってて
もはや自分の中でも
区別つかなくなっちゃってる人が
沢山・沢山・沢山いるって事、です

色々な人を観察して
つい最近気が付きました

驚く事に
幸福の科学で今盛んな
「復活の祈り」で気が付けたんです

それはもうブッ飛びました

ご自身の依存を
信仰や愛情や信頼
と思い込んでる人が多い事に
 

なんでぇ?なんでそうなるのぉ?
それ総裁先生への愛情じゃないよ~
エル・カンターレへの信仰じゃないよ~
自分可愛さの自己保身だよ~
依存だよ~

 
精舎での祈りに参加してみて
その中に、そんな人が
かなりの数いらっしゃるのに気付き

危うく、この組織が
嫌いになるところでした

なーんだ
結局・・・・自分かよ・・・・ケッ
くだらねーーーーー

と・・・・・・まあそれはさて置き

過去出合ってきた
その手の方々について
じっくり考察してみたんですが

以前は見えなかったモノが見え
それはそれで良かったんです、けど

歯痒い気持ちになったのも事実
 
 
そこで見えたのは

恐らくは過去世からの
積み重ねだろうと思うんですけど

その手の人は、どうも
心底愛された経験が
無いみたいなんです

親の愛、兄弟の愛、先生の愛
隣のオッサンの愛(なんでじゃ)

何でも良いですけど

転生の過程で
無償の愛を存分に注がれた経験が
その魂には無い様なんです

だから、あれ程までに愛への
理解が捻じ曲がってるのか・・・・

と悲しい納得をしました

要は「愛」に対する理解が
ビックリする程に浅いんですね
 
 
22歳の時、とある
地獄霊を救済したんですが

その時

「あぁ、この人って
本当の愛情を全然知らずに
亡くなったんだ、可哀そうに」

と感じると共に

「こんなのは、悲惨な生き方をした
極一部の人だけの話なんだろうな」

とアホの私は
思い込んでしまったんです

いやいや無思考って怖いですねぇ

何十年もその思い込みを引っ張り続け

最近になって周りを見渡してみたら

世の中そんな人がゴロゴロゴロゴロと
無数にいるのに気付いたんですから

真理の使徒としては
実に情けなや、です (;´༎ຶД༎ຶ`)
 
 
因みに

この四つには相関性が有る
とは言え
それぞれ独立したものなんです

信頼・依存・愛情アーンド信仰

について
一度ジックリと考えてみて下さい

信頼される人は正しい人

なんて考え持ってませんか?

それ・・・・間違いですよ

頭の中で
信仰と愛情と信頼と依存が
ごちゃ混ぜになってませんか?

それぞれキチンと
定義づけできてるでしょうか
 
 
前振りがかなり長かったけど
やっと本題です

アホの私に言われても
素直に聞く気になれないのを
承知の上で書かせてもらいます

貴方の主エル・カンターレへの
お気持ちは
純粋な信仰ですか?

自己保身は混ざってませんか?
 
 
先日こんな経験をしました

元職員の方に
腰の入ったガッシリした信仰と
多様な世間解が無ければ
受け入れられないであろう
(理解できない)
総裁先生のエピソードを
少しバラシてみたんです

その人、目が点になり
オロオロし始め
「聞かなかった事にします」
と心に鎧を装着しちゃいました

信仰って難しいモノですね
 
 
最後に

エル・カンターレからの霊示に
直接、当記事の内容が
語られてた訳じゃないんですけど

断片的に盛り込まれてたんで
書いてみました

その3に続く