いつの間にやら免罪符
幸福の科学では
寄付の事を「植福」と呼びます
寄付を受け取る行為は
古来からどの宗教でもやってますね
信者の側からしてみれば
金銭や土地の寄付等を通し
教えを支持する事で
他人の為に
将来の自分の為に
あの世に福を積む
そんな思想から行うものです
それが本道
その寄付ですが
16世紀頃のキリスト教においては
「これを買えば
貴方の今までの罪は軽減され
天国に召され易くなる」
そんな宣伝で
大量に「免罪符」と呼ばれるものが
売られた時期がありました
元々は十字軍の資金調達の為
始められたものらしいですが
徐々に堕して行き
これを買いさえすれば天国に行ける
そんな思想になっていったそうな
現代でも時々見かけます
普段の素行が悪く、このままじゃ
どうやら自分は地獄に堕ちそうだ
そう考えた小金持ちが
社寺仏閣に大量寄進する
そんな出来事を
寄付や寄進は
仏神に対し人間が
「させて頂く」ものであって
お店で物やサービスを買う
この世的な行為とは
そこが本質的に異なります
「受け取る」も「受け取らない」も
主導権は仏神側に有るものです
「え?オレ邪心ムラムラで
植福したけど
ちゃんと出来たよ?」
そう思う方もいらっしゃるでしょう
けど
寄付が物理的に受け取られた、としても
真心ではなく私心・邪心でやる植福の
霊的功徳は激減します
真心度と功徳は正比例
本当の真心で行った寄付は
額の多寡に関わらず
大きな功徳を生み出します
人は易きに流されやすい生き物
悲しい事に、幸福の科学の植福も
徐々に三次元的な価値観へ
堕してしまってる会員が
結構な割合いるそうです
「心を清らかに、信仰心を鍛える」
絶対に外してはいけない
この基本を疎かにし
ただ植福さえ沢山して
会内で「なんとか菩薩」と
呼称される様になれたなら
後はもう、確実に天上界へ還れる
とか
植福を沢山して
どこかの精舎の金色のプレートに
名前が刻まれれば天国生きは確実
しかも高い境涯に
そう考えてしまう会員が沢山いる
某霊人は、そう嘆いていました
これは単純な誘導をしてきた
幸福の科学の本部にも責任はあります
元々、ほとんど思考しない人は
右を見せれば左を忘れ
上を見せれば下を忘れます
そんな性状の人達を
植福は素晴らしい!
のオンパレードで誘導すれば
こうなってしまうのは
予測できたかもしれません
お陰様で
幸福の科学内で
「なんとか菩薩」とか
呼ばれる実績を残し、さらに
幸福の科学式の葬儀さえすれば
生前どれだけ心を汚していようと
どれだけ憑依されていようと
地獄に堕ちる事は無く
天使や菩薩がその人を天上界に
引っ張っていってくれる
そんな考えを持つ会員が
大量生産されてしまいました
基本的に人生は自己責任ですので
こうなってしまった責任は
己にあります
とは言え
気の毒な方達ではあります
確かに
植福に励んだり
「なんとか菩薩」になったり
幸福の科学式の葬儀をすれば
天国行きに加点されるのは事実
でも・・・・・・あくまで加点なんですよ
当人の心が汚れたままで
天上界に還れる訳ないじゃないですか
エネルギーの法則なんですよ、これは
マイナスのエネルギーが
プラスのエネルギーと同居できないのは
当たり前の話で
創造主も、この法則は破りません
これは
「縁起の理法」と
呼ばれるヤツですね
どうか今一度、立ち止まって
真理に、宇宙の法則に
心を向けてみて下さいませんか
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