本物の自信

貴方様は胸を張って
「自分には自信が有る!」
と言えるでしょうか?

現代は、右見ても左見ても
自信の無い人だらけ

その苦しさから逃れようと
愛を自分の下にかき集めるのに必死
そんな人達が、どこに行っても
溢れかえってる昨今

自信の不足を自覚すると
多くの人は
他から賞賛を尊敬を集めて
自己保身を図ろうとします
 
 
例えば
努力して、何かの
世界チャンピオンになった
とかは
大きな自信に繋がるもの
であるのは確かでしょう

ほとんどの人はこうやって
自信を醸成しようとします

でも、この程度じゃ
「本当の自信を得てる」
とは言えないんです

何故ならば
この世界チャンピオンも全世界の人に
無視され非難されたなら
全ての自信を失うでしょう

自信の根元が
自信を確定している元が
自分ではなく
他人にあるからです

本当の自信とは
何があっても何が起こっても
揺るがないものです

世界チャンピオンで得た自信は
相対的なものに過ぎず
絶対的なものではありません
 
 
他人から尊敬を得る事で
生ずる自信なんて

所詮は
「自分の判断が信用できないから
判断を他人に委ねてるだけ」
程度のものでしかなく
自信に繋がるものかもしれないけど
本当の自信ではありません

どちらかと言えば自信の無い人程
他からの評価に踊らされる傾向にあり
それって、端から見てて
かなり気の毒ではあります
 
 
ちなみに

人権とは
「人間は仏に創造された」
との事実を前提として
仏神への尊崇から
被創造物である人間への
敬意を持つものです

即ち
他人への敬意は仏への敬意に同じ
との理論な訳ですね

とは言え
他人からの敬意は時代と共に
コロコロと変化する価値観から生じた
軽い軽薄なモノも多く

だからこそ
本物の自信とは異なる訳です

本物の自信とは
時代を文明を乗り越える
絶対的なモノです
 
 
こんな事もあります

「イジメ」には
色々な原因がありますが
苛められる側が強い倫理観を持つ人
の場合も多々あります

苛められる側が弱いヘナチョコだから
ではなく
単に倫理観がシッカリしてて
苛める側が
「仕返しされないから安心」
と考えて苛める

そんなケースはよく有ります

あのマイク・タイソンなんかも
その一人ですね

あの狂暴そうな風体からは
想像出来ませんが
子供の頃は苛められっ子だったそうな
まあ、ある頃から
どんどんと凶暴化し
苛める側になって行ったんですが
それは置いといて、と・・・・・・

これなんか典型的な例です

では何が彼に、そこまでの強い倫理観を
抱かせているのか?

彼は、心の底に
強い信仰心を持つ人間なんです
 
 
本物の自信とは
神への仏への信仰により
生じてくるものです

「○○神を信ずる」と
明確でなくても良いんです

ぼんやりとしたものでも結構

仏神への尊崇、畏敬の念
これらを心の底の底に抱く人のみが
本物の自信を持てる人です

自信と信仰の程度は
正比例するんですよ

1のレベルの信仰心しか
持ち合わせない人が
10のレベルの自信を持つ事は有りません
(一見、そう見える人はいますけど
負荷が掛かれば1なのが露呈します)

それと同じく
10のレベルの信仰心を持つ人が
1のレベルの自信を
持つ事も無いんですよ
そんな人は
そのうち必ず
10のレベルの自信に到達します

信仰心って
実は人間の全ての全てなんですよ