菩薩や如来、等々~その他色々に対する根本仏のセッティング
興味深い霊示を降ろされました
宗教の世界でよく聞く
「~菩薩」とか「~如来」とか
「~観音」とかの
敬称がありますよね?
言うまでもなく、あれは役職名であり
固有名詞ではありません
例えば、ですが
「薬師如来」と呼ばれる魂も
「普賢菩薩」と呼ばれる魂も
それぞれ沢山存在する訳です
そして、なんと
その役職を拝命した魂は
それに関係した悟りに邁進し易く
あまり関係無い悟りについては
熱意が持てない様なセッティングが
魂に施されてしまう、そうな
魂がある程度以上進化し
真理に役立とうとする
熱意がある程度以上に強い場合
さらに
能力的にその方向への適正が高く
尚且つ
ある程度以上
それが好きで喜びを得易い
そんな条件が揃った時
仏は、そんな「道」に
その魂を縛り付けます
「縛り付ける」と聞くと
どうにも聞こえが悪いですが
当人の為、大儀の為
仏はそうされる訳です
納得いってない方
いらっしゃるんじゃないでしょうか
ボンヤリ聞いてたら
とんでもない話に聞こえると思います
仏が魂を縛り付ける?
そんなバカな!
自由を尊重するのが仏だろ!
と思われるかもしれませんね
要は
そのほうが、その魂にとっては
より幸福なんです
さらに、それにより
その他の多くの魂の為にもなる
だからこそ仏はそうされるんです
特定の方向に魂が固定されるんですね
勿論、それを望まない魂に対しては
そんな事はされません
あくまで、当人の意思が
尊重されます
映画「宇宙の法-エローヒム編」
内にも、そんなシーンがありました
ヤイザエルがエローヒムに
「私の正義を体現する武器となれ」
みたいな事を言われ
悪を駆逐する存在へと
変身するシーンがありましたね?
あれです、あれ
あれと同じ事が
なんとか菩薩とか
なんとか如来とか
なんとか観音とか
呼ばれる魂達には
転生のどこかで起こった訳です
ちなみに
映画では理解し易くする為
あんな表現でしたけど
実際には
もう少し違った形になると思います
ディスカッション
コメント一覧
そうなると、この間お話しされたメガネの人は視野が狭いって事との関連性はどうなるんでしょうね。
え~っと・・・・・・・・
どういった点が矛盾している様に
感じてるんでしょうか?
論点がハッキリしない
ぼんやりした質問の様に感じられ
答えようがないですね
「何々と何々は矛盾している」
とかの詳細な質問をしていただくと
返答できると思います
ありがとうございます。つまりメガネの人は視野が狭いけど、全集中で悟りが高く、それが何かの菩薩や如来だって事ですよね?
具体的には、幸福の科学で真面目にやっている人は、純粋で心の綺麗な人も多いけど、世間知らずで論理的思考の出来ない人も多い。だから世間の突っ込みにも対応出来ないでいる。しかしそれも神仏のお招きって話になる。つまり世間解が無いって事が登龍門みたいに感じます。
しかし貴方が日頃推奨しておられる、宇宙人的多方面の悟りを理解するには、もっと視野を拡げて世間解も磨くべきと言っておられる様に感じます。
しかしそんな多方面では一点に集中出来ないって事になり、教団の方針なんかに付いて行けなくなる。そんな事はないでしょうか?