お坊さんの魂の劣等感

過去世、お坊さんが多い魂は
記憶力に長けている傾向にあります

ですので学業においては
優秀な方が多いです

ところが、その「自分は優秀だ」
との思い込みを持って社会に出ると
学生時代に勉強がいくら出来ようとも
それが通用しない現実に遭遇し
仕事が思った通りできず
戸惑い、狼狽し、落胆します

人によっては、世を呪ったり
「世の中バカばっかり」と
他人を見下して
精神のバランスを取ろうとしたり

または
幸福の科学等、仕事と離れた場所で
認められようと努力したりします
 
 
仕事においては

行動力
決断力
創造力
勇気
熱意
理想
思い遣り
読心
世間解
協調性
ユーモア
etc.

これらが大きく力を発揮しますが

どれも学校では教わらず
しかも、短期間では
身に付けるのが難しいものばかり

と言うか、これらは基本的に
取得に何転生も掛かるモノが多く
それに関しては諦める他ありません

そんな言い方したら
救いが無いみたいですけど
これはまたこれで
立派な仏の導き、な訳です

仏はその人が会得していない認識力を
身に付けさせる為に
泳げない人を大海に放り込む様な事を
よくやられます

でも心配は有りませんよ
溺死する寸前には必ず助けが入る様にも
して下さっているんで大丈夫です

ところが、ここで
信仰心がある程度有る人は
その信仰心が仇となり
助けが入るだいぶ手前で
勝手に落とし穴掘って
落ちちゃったりもします

信仰心が一定以上の人の中には
「自分はこれだけ苦しんだ
もう救いが来るだろう」
なんて
期待をしてしまう人が結構いるんですね

期待する事自体は
特に問題とならないんですが
「期待」と「何もしない」が
セットになってる人は結構いて
そこが問題なんです

天の助けは啐啄同時で
当人にやる気や
明確なビジョンが無ければ
助けたくても助けられません
 
 
ちなみに
私事で申し訳ありませんが
私はどうにもこの「助ける」
の言い回しに馴染めません

仏が下さった悟りの機会なんだから
助けるもなにも無いだろう
と個人的には強く思います

艱難辛苦が仏の導きであるのを
認識できない人向けの
方便なんでしょうけど
どうにも感情面では
受け入れがたく感じます
 
 
どうでも良い事書いちゃいました

とりあえず
当人は現状から脱したいんでしょうから
そうするには
以前書きましたが
これ↓を
悟るしかないんですよね

仏は今、どんな悟りを自分に
身に付けさせようとされているのか?

それが判明すれば、後は簡単
そっちの方向に努力するだけ

そうすれば信仰心如何にもよりますが
それこそ一日で問題は消えます

これは大袈裟に言ってるんじゃなくて
本当にそうなんですよ
経験された方も
沢山いらっしゃると思います

この世的なアプローチじゃなくて
信仰心によるアプローチで
名探偵コナンよろしく
問題を解明するんです
人生の諸問題を

ナゾナゾだと考えれば
楽しくないですか?

様々な難問の後ろには
仏がニコニコと手を広げて
貴方がナゾナゾ解く日を
悟る日を、待って下さっています

それを思うに
苦悩の日々に疲れはて
人生に希望を失ってしまってる人は
今自分に感謝の心が有るかどうか
確認して頂きたいんです

さあ!人生を楽しみましょう!

仏がエル・カンカーレが下さった
二度と巡ってこない
最高の今世を!
 
 
某高級霊が呟いてました
「貴殿方は本当に幸せです
仏のお姿を
肉の目で見る機会は滅多とありません
肉の耳でお声を聞ける機会もです
心に深く刻み込んでおいて下さいね」

彼らには総裁先生のお姿やお声が
私達人間とは違って感じられるんです

光そのもの、にしか
見えません、感じられません

この世の人間は恵まれています

この世は苦しみ一杯
に思えるかもしれないけれど

こんな素晴らしい今世を与えて下さった
仏に感謝ですね