仏が仰いました「他を導くのは辛い」そうですよ

昔々、霊存在の
エル・カンターレが仰いました

他を指導するのは
無上の喜びであると同時に
最高の悲しみでもある

エル・カンターレは全存在の心を
我が心、と感じておられる存在です

どうしてそうなのか?は
これこれに書きましたが
他にも書いてる記事
有ると思うけど、忘れちゃった

全ての存在を24時間365日
創造し続けている存在だからです

人間の幸福の為に指導されるわけだけど
その指導に人は苦しみ悲しみ傷付きます

それが、例えようも無く
悲しいそうですよ

人間で言うならば
親が子供を叱るのと
ある意味で一緒だと思います

子供は目の前の事しか認識できませんが
親は場合によっては
それこそ何十年も先が読める訳で

そこで齟齬が発生しますよね

20年後の子供の為に親は叱るけど
子供には意見の押し付けにしか見えず
苦しむ

親は自分の叱責による子供の苦しみを見
悲しむ

それに似てるんじゃないのかな
 
 
仏の造物は人間が何かを創るのと
同じ様に解釈されがちですが
共通点こそあれ全く違う行為
とも言えます

全ての存在は、まず仏が創ります
人間はそれを弄っているに過ぎません
これに例外は、一つも無いんですね

そもそも時空が「創られた」からこそ
人間は存在できるんであって

物質にしろ非物質にしろ概念にしろ
仏が用意して下さった材料を
人間は加工しているに過ぎないんですよ
人間が「無」から何かを創るのは
不可能です

さらに決定的な違いは

人間が創った(と思っている)ものは
一定期間、人が手を加えなくとも
存在し続ける、と
人は思い込んでいますが・・・・・・

例えば建造物
材質によって何千年かは
形状を維持します

料理なら1週間、て所でしょうか
なに?旦那が食べちゃうから10分?

この間、創造人は手を加えていません

この現象を常日頃から多々目にする為
私達人間は仏の創造を
これと「同じ様なもの」と
認識してしまうんですね

所がどっこい
人間が手を加えていない一瞬の間にも
その創ったものは劣化して行きます

より正確に表現するなら
劣化と言うより
「元の形」に戻ろうとします

これが人間からは見えない為
一度作ったものは一定期間
そのまま存在すると皆思い込む訳ですね
 
 
これには勿論理由が有って

人間が認識出来る「時間」は
短く、しかも単一の流れしか
解らない様に創られているからですが

そう創ったのは
「人間」たらしめる為です

同時存在or移行する無限の時間軸を
全て認識出来るようだと
そもそも、それは創造主に過ぎず
人間としての存在意義は失せます

わざわざ人間を創作した
根元の意味に反しますので
人間は人間らしく
何も分からない様に創られました

根本仏の行動原理は
ショボい私には想像すらつきませんが
少なくとも
人間は人間らしく、おバカでないと

人間が宇宙が仏が
幸福を得られません
 
 
閑話休題

この様に誰が創ったものであれ
時間と共に「元の形に戻ろう」と
全てが変化して行きます
物質だろうが思想だろうが
(この動きは、仏が
その存在に込められた
概念そのものに戻ろうとする
運動なんですが話が複雑化するので
今回は端折ります)

その原点回帰の運動を阻害する為に
(存在を維持する為に)
大きなところでは宇宙に
小さなところでは私達人間にも
循環サイクルが
必要な様に創られています

何も手をいれなければ
宇宙ですら時間と共に崩壊していきます
(元に戻って行きます)

貴方が存在し続けられる事の意味を
考えてみて下さい
 
 
これを聞いても
劣等感にまみれ人生に絶望した人は

「バカかおまえ
オレは早く消えて失くなりたいんだよ
存在なんかしたくないよ
なんで、こんな苦しい人生が
与えられたものなんだよ
仏なら神なら
もっと素晴らしい人生を与えるはずだろ
おかしいじゃないか!」

そう思われるかもしれませんね

でもそれは
この世的視点でしかないんですよ

も一つ言うなら
絵本の読み過ぎです

帰天してみれば
苦しみも悩みも
全ては仏の大きな大きな愛であった事が
肌で理解できます

とは言え
生前そんな考えしか持てなかった人は
死んでも中々考えが
変えられないみたいですけど
 
 
今回の記事はエル・カンターレが
何よりも貴方を愛する事の
客観的な直接的な
論拠ではないかもしれませんが
一助にはなるのでは、と思います

どうか御熟考下さい