仏の慈愛

主は、創造主は、造物主は
全ての存在を愛し慈しみ
常に抱き締めておられます

この状態を例えるならば
母親が赤子を優しく抱いている様な
とでも言いましょうか

母親は子にミルクを与えたり
オムツを代えたり、しますが

私達人間の場合には
それに該当するのが
「人生の出来事全て」になります

朝目を覚ました時の爽やかな空気
通りすがりの道端に立ち尽くす老人の目
電車の中での学生達の会話
職場までの徒歩ですれ違った人々の表情

これらは全て仏による導きです
貴方をより良き方向へと導かんとする
仏の限りない愛です

全ての導きを「掴む」のは
実際問題として不可能ですが
その中から一つ二つくらいは
掴みとれるはずですね

全ての存在は主の大きな御手で
24時間、抱き締められていますが
そこに気付けるのが信仰

「仏への信仰が無い」とは
今現在、母に抱き締められている事が
分からない精神状態で
「信仰が有る」とは
その逆になります
 
 
仏神は時として、方便で
人を信仰の道へと導かれます

信じると病気が治るよ、とか
信じるとお金が儲かるよ、とか
信じると人間関係が良くなるよ、とか
そういった類いですが
あれは、あくまで方便です

その状態は言うなれば「自分可愛さ」
であって、自分に得が有るから
信仰の道に入った訳です

それは
「この世の自分」しか見ていない状態
または
「この世の自分」が強く見える状態
ですね

ところが
心がそのままの位置では
利益が無くなった瞬間
簡単に信じる事を止めてしまいます

それではいけませんよね
もっと前に進む必要が有る訳です
 
 
その為に様々な仏法が用意されています

真理の道に入った人には
それ用の様々な人生模様が用意されます

嬉しかったり楽しかったり
悲しかったり、色々です

時には悪魔等からの
アタックもあるでしょう

あれも信仰を強くする為の
仏の方便に過ぎません
あの世に帰れば、それがハッキリと
実感できます

その時、仏神の慈悲に
涙すると思いますよ

これが宗教的側面から説明した
「人生模様」ですが

他にも観点は沢山有るんです
実は

それらは当サイトの趣旨と外れますので
書きませんが
人生の色々な出来事を眺める視点は
他にも無限に存在する事実を
知っておいて下さい

それを知った上で、世の中を観察すると
「他の視点」が見えてきます

見えると…….

世の中が広くなりますよ、随分と

それらの視点全てを
内包されているのが仏です
 
 
さてさて
できれば今世、生きてる間に
全ての存在は常に仏に
抱き締められている
実感できる所まで行けたら
素晴らしいと思います

その為には自分と全く異なる
考え方・価値観も少しは認められる様に
なる必要があります
(知性面からだけではなく
感情面からも理解できたら
最高ですね)

自分と大きく異なるものは排除する
とか、認められない、では
中々そこまで行けません
と言うか不可能です

それが出来る様になるには
多様な人生経験が必要
これは必ずしも
肉体年齢とは正比例しません

いつも同じ事ばっかりしてる
そこの貴方!

そんな事してると
あっという間に頭脳が心が
カチカチの年寄りになっちゃいますよ

行動しましょう!
いつもと違う「何か」に
チャレンジしましょう

人生とは楽しいものなんですよ
何もかも含めて
苦しいものにしてしまってるのは
自分自身なんですよ