自分が許せない

とある女性がいました

その方は原因不明の病気を抱え
何かと不幸の続く人生に嫌気が差し
支部で他の会員に相談してたんです

そこへ偶然通りかかった私が
なぜか相談に答える羽目となり
(おい!勘弁しろよ!〇〇君!)

コーヒー飲みながら小一時間
話を聞かされ原因が掴めました

今世、自分は様々な失敗や
判断ミスをしてきた

それが許せない

自分で自分を罰したい

それが病気と不運の原因でした

私の役目はここで終わり!

後は八正道でご本人が自力で
心を修正する他ありません
 
 
人間は何度も何度も
あの世とこの世をグルグル転生し
その都度、新しい個性を獲得しますが

冒頭の人は、その自分が
今世の自分が許せない

そんな気持ちから幾つかの不幸を
呼び込んでいました

それは病気だったり
開けない運命だったり、と
 
 
これは、巷によくある
「○○さえ有れば自分は幸福なのに」
との思い込みと同じ思考ロジックで

言うなれば
視野の狭窄から来る
歪んだ自己評価ですね

果たして○○が有れば
本当に幸福になれていたのか?
仏でもない限り
誰にも判らない事のはずなのに
当人は、そう信じ込んでしまってます

その信じ込みが強ければ強い程に
当人の霊力が強ければ強い程に
己の人生に悪影響を与えます

自分自身を攻撃する力となって
発現します
 
 
人生の岐路に立つ時、選択の時
人は目の前にある幾つかの扉の中から
一つを選ばなくてはなりません

その扉の中には
時間を限って言うなら
(人間の視野で言うなら)
正解の扉があれば
不正解の扉もあります

ですが長い長い仏の視野から言うなら
不正解の扉なんて一つも無いんです

しかも
一つの扉が閉じれば
(自分が閉めたか他の要因で閉まったか
等は一切関係なく)
間髪入れず別の扉が現れます
その人に相応しい扉が

宇宙にただ一つの扉が

これが
「人間は全てオンリーワンの存在」
の意味でもあります
 
 
人は皆、特別なんです
同じ人は存在しません

例えば
クローンで同じ肉体を作ったとして
魂までも複製できた、としても
その後の人生には短時間で違いが生まれ
あれよあれよという間に
見た目はソックリでも
違う存在となって行きます

全ての存在はオンリーワンで
尊い存在なんですよ

なのに人間は他人の尺度で自分を測り
または狭い視野で自分を眺め
劣等感に塗れたり自己限定したり・・・・
 
 
じゃなんで仏は
人間をそんな愚かに創ったか?ですが

書籍「太陽の法」に
書いてあったと思うんですけど

幸福を味わってもらう為です
悟る幸福を

それぞれの存在には
それぞれの立場があり
独自の存在意義を持ちます

そして
どの存在が上だ、とか
高貴だ、とかの区別は
本来存在しません

あくまで地球文明を進化させる為
便宜的に、そう表現されているだけです
高級霊だとか何だとか

劣等感にまみれる人は
総じて視野が狭いです

別な言い方では
世間を知りません

もっと別な言い方だと
人間を知りません

これは転生の数が少ないか
一つの事に打ち込む転生が多かったか
どちらかを意味します

前者は魂が創られてまだ日が浅いんだし
後者は、それだけディープな能力を
持っている、となります

どれも自分を裁く理由としては
不当じゃないでしょうか?

他人を見る時
「自分にない羨ましい能力を持つ人」
と考えるんじゃなく
自分には自分オリジナルの
能力が有るんだ!と誇って下さい
(この誇るとは他を見下す
との意味ではないですよ)

その心があれば他人を
寛容に眺められるんですよ

その為に
もっともっと広く深い視野を
手に入れてみたい、と思いませんか?

それには幸福の科学の真理を学び
実践するのが一番効果的ですよ