ファッションにおける美

私がこんな記事書くハメになるとは
正に一寸先は闇ですね

私みたいな人間がファッションについて
書く資格が有るかどうか
一定の疑問があるところではありますが
とりあえず
インスピレーション貰った事だし
書いてみます
 
 
貴方は、オシャレについて
どんなイメージをお持ちですか?

「小さな自分を
必要以上に大きく見せようとする
奪う愛の行為で、汚らわしいモノ?」

それとも

「仏神の芸術を世に表し
人々の心を潤す素晴らしいモノ?」

どちらの意見が貴方に近いですか?
 
 
この二つはそれぞれ
両極端な見方かもしれませんが
このサイトを読もうと思う人は
一つ目(に近い)の方
多いんじゃないでしょうか?

奇抜なファッションで
身を包む人を眺める時
卑しい人を見る様な
目つきになってませんか?
 
 
確かにファッションには
大別して2種類のモノがあります

一つ目
10の自分を15にも20にも
見せようとする
言うなれば劣等感の強い人が
それを補填して心の安楽を
得ようとするモノで
奪う愛に相当します

二つ目
「美」を通し世に仏神の心を
広めようとするモノ
こちらは与える愛ですね

これら二つとも当人は
自覚していない場合が多い様です

二つの違いを簡単に言ってしまうと
基本的には心根の差なんですが
そこに美の悟りも加味されてきますので
識別眼を身に付けるには心の醜悪を
見分けられるだけでは不足していて
やはり美の悟りが必要です

あと「身だしなみ」の観点から
服装を整える人がいますが
あれは、オシャレと言うよりは
「社会人としての嗜み・常識」
の様な感覚から来る行為であり
「美」の観点が欠落しています
よって「オシャレ」とは
言いかねるものである為
今回の内容からは除外します
(世間ではコレもオシャレと
言われる事が多い様ですが)
 
 
宗教的な人は一つ目の見方を
する人が、かなり多い様に
肌で感じます

高速道路のパーキングで
休憩してて
変てこりんなファッションの
集団を見かけたりすると
悲しい事に、その方々は十中八九
宗教団体の人々なんですよ

現に、幕張メッセ等
大型施設でHSの行事がある時には
毎回、高速パーキングで経験します

まあ、その「変な服装」の人達には
私も含まれる訳ですけどね
 
 
だいぶ前の記事に
書いた様な気がしますが
美の悟りは生存する為に必要無い
と考える人が世の多数みたいで
少数の人しか求めようとしません

残念ですけど

確かに必要最低限の生命維持には
必要無いですし
役に立たないかもしれません
ですが
ほんの少しでも精神的高みを
目指そうと考えるなら
美の悟りは必要なんですけどねぇ

これが有ると、例えば
自然の美しさに
肉体美にも
動物の造形にも
草花の形にも
フェラーリのデザインにも
ファッションショーにも
書道の中にも(これは美と違うかな?)
その他「余裕」と呼ばれる部分に
真理を見出す事が出来ます