「信仰」と「科学」は全く同じもの
前回の終盤に少し書きました
科学・確信・理論・理屈・論理
は全て同じもの
について何通か
メッセージを頂いたんですが
残念な事に皆さん勘違いされてました
かなり違う意味に取られている様です
私の文章が未熟な為でしょうか?
説明が簡素過ぎたんでしょうか?
これにより
恐らくは他にも勘違いされてる方が
沢山いらっしゃるのでは?
と予想されますので
今回はそれの補足説明をさせて頂きます
科学を極めていけば必然的に
神に信仰に辿り着く
こんな内容のものなら確か書籍に
書かれてたと思いますし
割と世間で言われてる事でもあります
が
前回書いたのは
これに、言い回しこそ似てるものの
かなり異なる内容
現代において「信仰」とは
知性や理性で感じるものではなく
感性や悟性で初めて受け止められるもの
と、捉えられていると思うんです
ですが、これは現代人が
知性・智力が退化してしまっていて
その部分で理解させるのが難しく
ぼんやりとした理解にはなってしまうが
それしか解らせる方法が無い為
あえて「信じる」といった
情緒に訴えかける方法で
説かれている訳です
現代人には意外な表現かもしれませんが
数学と信仰は完全に同じもので
あくまで理論・理屈・論理・ロジック
に過ぎません
(尊いものであるのは変わりませんよ)
信仰とは
個々人の感情に委ねる部分の多い
心情的な行為では全く無く
(これのせいで理解できる人と
出来ない人とに分れる訳です)
全ての人が等しく理解できる
原理・体系・定理なんです
一部の奇特な人だけが持つ
特異な感情などではなく
誰もが理解しうるもの
現代地球人がそちらの面で
退化してしまってるが故
理解出来ないに過ぎないんです
う~ん
他の書き方思いつかないな~
これで私の表現したかった事
通じたでしょうか?
とりあえず
もう質問して来ないでね
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