日本神道の釈明 part2
前回の続き・・・・・・・・
二つ目の
日本人全般の思考回路が弱い所
これは神道のせいだそうです
と言うか
計画が有ってワザとそうしてるそうな
神道の教義が空っぽなのも、同じ理由
これについては
「全ては計画通りなんだから
貴方が心配する必要は無いよ
我々がキチンと仕事するから大丈夫」
と言われました
エル・カンターレが日本を基地として
真理を説き始めた時
信仰心が入って行き易くする為に
ワザと知性を停滞させたそうです
知性をやたら発達させてしまうと
信仰心が芽生えにくい
それに知性を発達させるのなど
彼らの手に掛かれば、いとも簡単だそうで
何十年かあれば実現できる!そうです
それと比べ信仰心の方は
芽生えさせるのに膨大な時間が掛かる
よって知性を制限したせいで
国威発揚に影が差そうとも、止む無し
何よりも大事で育てるのが難しい
偉大な神への信仰心のため
全てをそうしている、のだそうです
そして
教義が空っぽなのも
神への信仰が薄っすら有る所に
幸福の科学の真理を落とし込める様に
といった天御祖神の計らいです
さらに驚く話として
神道の特徴、と言ってはなんですが
他の宗教では有り得ない点として
最初から
崩壊させるつもりで構築された宗教
と言った所があります
はぁ?何それ?
と、お思いでしょうか?
実は日本神道
幸福の科学の出現で消える
もしくは吸収される事が
最初から織り込まれて
設立された宗教なんですよ
それの直接証拠は示せませんが
間接的なものなら少し・・・・・・・・
高天原が神道を
本気で盛り上げるつもりなら
天照大神様が産まれてくればいいんです
それだけで大きく大きく大きく
神道への支持率は上がります
でも、しませんでした
そんな事してしまうと
前述の計画がパーになってしまうから
ムーから続く計画が崩れてしまうから
これにより日本が信仰心の面で
ある程度荒廃するのも予測済みでした
しかし
何よりも大事な事
エル・カンターレへの信仰を
高天原は重視し
それに向かって全てを進めてきたんです
とりあえず
私はこれで安心しました
本当にありがたい事です
日本神道の愛に、ただただ感謝
これで安心してバリバリ伝道に励めますね
同じ様な事で悩んでおられる方
いらっしゃるんじゃないでしょうか?
少しでも、そんな方のお役に立てたら
それに勝る幸福はありません
ディスカッション
コメント一覧
いつも勉強させていただいています。
ありがとうございます。
ところで依存心の強い人とは、どんな人の事でしょうか?又は、どこまでいけば依存心が強いと判断されていますか?
先生は、みんな色々あるんだから、裁かずに許しあうことが大事だとおっしゃっていますよね。
ただ、確かに成功者の方々とゆうのは、和の民様がおっしゃる通り、依存心の強い人とか、一定の条件を満たさない人を弾くような感じが確かにします。
それはもうバッサバッサと。
例えば、金持ち父さんと何とか父さんの書籍にも、収入が低い人とは付き合うななどと、あります。
私は、人をバッサバッサと切り捨てる事が、できません。
確かに甘えたことや、愚痴の為に連絡してくる方はいますが、私も辛い時期はだってや、でも、などと連呼していましたし、特に歳を重ねておられる方は辛さもひとしおかもしれないと思うのです。
が、寄り添う姿勢は信仰者としては必要無いのでしょうか?
ながながと依存心の強い文章なのかもしれませんが、最近このことで悩んでいます。
各投稿の趣旨自体は頷けるものが多く、ためになるので、ときどき読みに来ています。ですが、文体でずっと気になっている点があるので、指摘したく。もう生き念として行っちゃてるかもしれませんが。
それは、予想される反論・疑問にもそれなりに言及すべきではないかということ。上記の文章であれば、「天照大神が産まれてくればいいんです」とありますが、「うん?吉田松陰や光明皇后はどうなんだ?」と思う信者が大半ではないでしょうか。
これに対する貴殿の反応は、他の投稿から推測するに、「細かく書く時間もないし、わからない人にはいくら説明してもわからないから」ぐらいでしょうが、総裁だったらきちんと言及するのではないでしょうか。
総裁は八正道なり三法印なりの仏法を体得されていらっしゃるから、わかりやすさを優先して、初期の頃はいろいろと感性的な説明をされたことがあります。例えば、八正道の最初に「正思」を持ってきたり。
でも、これだと伝統仏教を学んだ人にはちゃらんぽらんなだけにも見える。で、批判されたこともある。
だから、伝統仏教をやっている人の救済にもなるようにと、総裁は仏教学もきちんと学習された。仏教辞典に載っている用語で知らないものが1つたりともあってはならないぐらいの姿勢で。そう法話でおっしゃてますね。
オウムの主張は基本的に間違っているでしょう。「取るに足らない主張」と上から目線で切り捨てるのも間違いとは言いません。だからということで、仏法を感性的に解説し続ける求道者と、「彼らの主張も全く間違っているわけではないから」と仏教学をきちんと極める総裁。
この違いをよく考えたほうがいいのではないでしょうか。