芸術について
今回の記事は
現代アートに携わる方々にとり
かなり不愉快な内容となっています
よって関係者の方は
読まれないのが賢明かと存じ上げます
以前書いた記事に
現代アートへの、息子の守護霊の意見が
含まれていましたが
その見解には私も同意です
以下は、私の(芸術関係の)
霊界の師匠に教えてもらった内容です
現代アートについて、こう仰ってました
「私としては、あれは芸術と言うより
哲学、と言いたいところです」
「仏はどう見られているのか
分かりませんが
私個人の考えを言うならば
芸術と言うものは
基本的に美しくなくてはならない
と考えます」
「現代アートのほとんどは
美しくありません」
「彼らは言葉や文章で自分の考えを
表現する能力が低い為に
ああいった手法で自分の意見を
発表しているだけの事で
美しさも崇高さも無い様に感じられます」
「そこにあるのは製作者の
主張や意見のみ、でしかありません」
「否定する訳ではありませんし
面白いのは確かですけどね」
テレビで現代アートの旗手の一人
と表現されていたが
韓国籍の男性が出ているのを見た事がある
(名前は失念した)
彼は大きな石を
床に置かれた大きなガラス板の上に
ポンと落とし
割れた大きなガラス板に載った石
それを「作品」としてました
そこから私が感じられたのは
「差別されてきた劣等感・悔しさ」
でしかないんですが
解説してる人も誰も
それが解らなくて、感じられなくて
「ホォ~」と
感嘆の声を上げてました
私もまだ発展途上でしかありませんので
こんなこと書くのは
僭越ではありますが・・・・・・
芸術は悟ってる人が少なく
(芸術の悟りは生活必需品でないのが
理由だと思います)
一般の人のみならず関係者までもが
殆ど悟れていないままで携わっている
私としてはあれで楽しいんだろうか?
とも思えるんですが
そんなの「余計なお世話」なんでしょうね
世の中には
地獄界に通じているのに
高評価されている作品もあります
それなど
「何だかよく解らないけど
理解出来ない、て事はきっと
崇高な何か、があるに違いない」
と考えるんでしょう、きっと
でも、それは誤解であって
本当に神の心に沿った作品であっても
認識出来ない人から見れば
どちらも同じ様に感じられてしまいます
残念な事に
中身がスッカラカンな作品は
「ただの造形」「ただの絵」であり
テクニックがあれば誰でも作れます
そして
テクニックは今世だけの短時間の訓練で
簡単に身に付くものでもあります
しかしながら
才能と言うか
感受性と言うか
表現力と言うか
その類は
そんな短期間の訓練では無理
なぜなら幾転生もやってきたからこそ
得られた悟りで能力で
高々50年や60年の訓練で
得られるモノではありません
(芸術に限らず、才能と呼ばれる
類の能力は全てそうです)
「魂のこもった作品」は
テクニックだけでは描けないんです
そこに何らかの「美」か「愛情」か
まぁ何でもいいんですが
観る人の魂を揺さぶる「理念」が
込められてなければなりません
「悟り」とも表現できるでしょう
例えば、色にだって
その色なりの「意味」が「理念」が
あるんですよ
学校で習う
色の配置の事を
言っているのではありません
「色そのもの」の事です
これは学校では教えてくれません
だってこれ、悟りの一種ですからね
ですので色使いは非常に重要です
ちなみに
「魂がこもった作品」と
「良い作品」
この二つは全くの別物です
(言葉の遊び、みたいな
感じではありますが)
魂がこもった作品は沢山ありますが
良い作品はほとんどありません
この場合の「魂がこもった」とは
全てを捧げて一生懸命に
作り上げたものを指します
そして「良い作品」とは
「あの世の高級霊をも感動させる作品」
との意味です
天上界曰く
世界的に高名な画家でも
「良い絵」は
生涯に1枚かそこらしか
描けていないそうです
他にも
平面の作品より立体の作品に携わる人は
若干、幸福の科学で言う所の
「裏霊界」的な所がある
解り易く表現しますと
俺が!私が!との
「自己主張が激しい」訳です
あと
御存知の方、多いでしょうが
絵でも彫刻でも
当人が
一生懸命製作したものであればある程
その人の当時の心境が克明に刻まれ
(能力を持つ人なら)一見しただけで
全てが読み取れてしまいます
これは芸術でなくとも
全てに言える事ですけど
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